また山本文緒さんの作品を読んだ。kindle unlimited から提供されているのも理由だが、やはり惹き付けるものがあるのだろう。しかも日記形式のエッセイを続けて読むとこの作家の人気の秘密がわかる気がしてきた。うまく言えないが、自身のさらけ出し方が上手なのだ。はみ出しの度合いが読み手が共鳴できる範囲に留まっていて、同時に読み手を励ましているように思える。「このくらいの粗相はありだよ」と。「みんな一緒だ」と。とはいえ、そこは作家。面白いところは面白い。
「そして私は一人になった」。なんかアガサ・クリスティーの小説のもじりのようなタイトルだが、離婚した山本さんが一人暮らしをはじめた(実家住まいから結婚したので初めてらしい)1年間を日記形式で書き記している。文庫版だと親本刊行後12年後のエッセイも収録。一人暮らしで結構頻繁に飲んでいるが、胆囊摘出でほぼ飲めなくなったと書いてある。その後についても読んでいるので分かってはいるのだけれど。
作家とサラリーマンとは随分違うだろうけど、単純に自分の一人暮らしと重ね合わせる。特に社会人4、5年目までは六畳一間のほぼ万年床(半分に畳むだけ)。トイレ共同風呂無し。テレビもなく、家にいるときは、本を読むか音楽を聴きながら天井も見る時間が長かったような気がする。
それはともかくとして、山本さんのエッセイは食べものや買い物につられて面白がって読んでいると、ふと刺さる言葉が出てくる。
私の愛想のよさや礼儀正しさは、相手のことを思ってではなくて、自分を守る鎧なのだ。
かなり当てはまる人がいるのでは。ちゃんと「防御」できているかは不安だが、自分自身もそのような部分がある。間違いなく。お前は礼儀正しくないだろう、と突っ込まれるかもしれないが。
友達とつきあうような礼儀正しさで、恋人ともつきあいたい。心からそう思っているのに、できない自分が時々本当に嫌になる。
でも、喧嘩をしたことに対して、後悔したことがあるかというと、実は一度も無いのだ。
友人とは割り切ってつきあえるのに、恋人とはそれができないとしている部分。「恋人に求める部分が多すぎる」というのが自己分析だ。
小説を書く、ということは、私にとって終の住処という感じがする。書けない時もあるし、他の仕事に浮気をする時もあるかもしれない。でも私は、死ぬまで書くんだろうなと不思議な確信を持っている。
実際、あまりに早すぎたが、死ぬ直前まで書いた。性(さが)とか運命とかという言葉はどこかそぐわないが、山本さんは25年ほど前に書いたことをまっとうしたのだなと思った。今度は小説を読んでみよう。