昔、「アルプ」という文芸誌があった。1958年に創刊され、1983年の終刊まで計300号を発行したらしい。「山の文芸誌」と言われていたらしいが、登山技術やコースなどを紹介するのではなく、山を「思案の場」ととらえ、詩、エッセイ、画文、写真を通じて、自然への畏敬を表していたという。広告は入れない方針で、当時としては高価な雑誌だった。この「山からの絵本」は辻まことさんの「アルプ」への寄稿(画・文)とまとめたものだ。
先日読んだ「山からの言葉」以上に、辻さんを理解できるかなと購入した。絵が多くて、辻さんの世界に入り込んだ気になる。冒頭の「夏の湖」の父と娘のやりとりとして書かれた文はこんな感じ。
――父親、あなたは画描きさんでしょう。なぜ山へいくときに画を描く道具をもっていかないの?
――お答えしますがね、この父親は、もしかしたら本当は画描きさんじゃないかも知れないんですよ。それに山へいくと画なんか描きたくなくなるんですよ。(後略)
山の人々との交流、スキー、釣り、鹿や熊など、あまり今までに読んだことがないタイプの文章が並ぶ。読んでいるだけでどこか非日常に連れていかれる。「遭遇」は、夜に人にぶつかった話。言ってみれば、それだけの話なのだが、どこか奇譚になっている。
満月の夜に帰り道を急いでいた筆者は何者かにぶつかる。相手は熊笹の中に落ちていった。声をかけても返事はない。気になっておりていくとどうやら女性のようだ。近づいていくと、相手は自分をにらんでいる。と同時に、身を守るためなのかナイフを取り出している。黙って後退して、その場を去ったという話。
その他、「キノコをさがしに行ってクマにおこられた話」「はじめてのスキーツアー」など。奇譚めいた話もあるが、全体的に話はユーモラス。ちなみに、辻さんのスキーの腕前はプロ級だそうだ。
先日、福島県川内村に行った時、草野心平さんの天山文庫の他に、辻まことさんのお墓に行ってみようと思っていた。同村の長福寺に眠っているという。早朝ランニングついでに長福寺まで行ってみたが、朝5時台にランニング姿の人間が境内に入るのは失礼と思い、墓前に立つのはあきらめた。現地のパンフレットなどを見ると、「辻一(まことと読む)」と書かれているのが多いようだ。こちらが本名とのことだ。

存在を知るのが遅かったので後手に回っているが、もうちょっとこの人の画文に触れてみたい気がしている。中古書店を巡る楽しみとしておこう。
