晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「カフカ断片集」

 「カフカ短編集」に続いて「カフカ断片集」。読んでみると、かなり近いな。それはともかくとして、こちらは頭木弘樹さんの編訳になる。断片集なので短いのだけれども、短編の範疇に入っていた文もいくつかあった。『 』はカフカ自身がつけたタイトル、「 」は遺稿を発表したマックス・ブロートがつけたタイトル。ブロートはカフカの友人で、カフカに原稿の焼却を頼まれた人物だ。しかし、彼がカフカ死後に遺稿を発表してくれたので、このようにカフカの本が読めるとも言える。彼自身も作家であり、文芸評論家だった。

 そして、一番多いのが[     ]でくくられた、タイトルのない作品。こちらは編訳者がタイトルを付けている。

 「カフカ」と聞いて、あまり「明るい」「元気がでる」とかポジティブなイメージを持つ人は少ないと思う。悲観的だったり、自虐的だったり、自己批判のような、自分の限界を悟っているような文が多い。こんな感じ。

 [言葉]

 言葉は、登るのが下手な登山家であり、掘るのが下手な採掘者だ。

 山の高みからも、山の深みからも、宝をとってくることはできない。

 『法の前に』は、『 』なのでカフカが生前にタイトルを決めて発表された作品。自分は「掟の門前」というタイトルで知っていたが、頭木さんは「掟」よりも「法」の方が意味が広いとみて、後者を採用したようだ。個人的に好きな作品。「短編集」に入ってなかったので、ちょっとそわそわしていたがこれで安心した。

 ところどころに入っている挿画もカフカ自身によるもの。こちらも何を指しているのかわかるものは少ないが、結構味があっていい。みすず書房から「カフカ素描集」なる本も出ている。絵心もあったカフカの才能を確認したいところだが、いかんせん高い。

 [死後の評価]

 ある人物に対する、後世の人たちの判断が、同時代の人たちの判断よりも正しいのは、その人物がもう死んでいるからである。

 人は、死んだあとにはじめて、ひとりきりになったときにはじめて、その人らしく開花する。

 死とは、死者にとって、煙突掃除人の土曜の夜のようなもので、身体から煤をを洗い落とすのだ。

 同時代の人たちがその人物に与えたダメージと、その人物が同時代の人たちに与えたダメージと、どちらがより大きいかが明らかになる。

 後者のほうが大きい場合、彼は偉大な人物であったのだ。

 ものさしが「ダメージ」?と思いつつ、限られた人数ながらカフカも同時代の人たちに与えたのが大きかったのだろうと思う。カフカの言うことを聞かずに作品を残してくれたマックス・ブロートに改めて感謝。