晴走雨読 横鎌日記

無理しないランニングと気ままな読書について綴ります。横浜と鎌倉が中心。映画やお出かけもあり

「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」(下)

 (上)の部分、イントロが長くなってしまい本題に入らないまま放置してしまった。このまま、年を越すのはあまりにだらしないので(現状でも十分だらしないが)、(下)として本そのものの感想などを記す。

 この本に反応したのは、ありがちだが、赤瀬川源平新解さんの謎」を読んでいたから。ユニークな語釈で知られる「新明解国語辞典」を編纂した山田忠雄は、「ケンボー先生」で知られる見坊豪紀(ひでとし)とともに「明解国語辞典」を作ってきたが、それぞれ「新明解」と「三省堂国語辞典」に分裂してしまった「謎」にせまるノンフィクションだ。

 先に三省堂に入社し、辞書編纂を任されたのは見坊。その見坊が山田に校閲の仕事を依頼する。できあがったのは先に述べた「明解国語辞典」だが、辞書名は山田の発案だったという。すでにあった漢和字典の名にならっただけだったが。

 しかし二人は袂を分かち同じ出版社ながら別の辞書を出すことになる。そのきっかけが、1972年の1月9日に起こった。

じてん【時点】「1月9日の時点では、その事実は判明していなかった」(『新明解』四版)

 ちなみに、この用例は3版までは収録されていない。「新明解国語辞典」が完成した打ち上げのあったこの日に、いやその日の打ち上げの会場で公開された「新明解」の序文が亀裂の原因ようなのだ。ここに山田は、「見坊に事故有り」と書き、見坊が役を降ろされ、山田がその任についたと示唆される文が続いていたのだ。温厚で知られる見坊も、家庭では怒りを隠せなかったという。

 ただ、これには加筆や訂正に時間がかかり、遅々として作業が進まない見坊に会社側がしびれを切らしていたという話もある。会社への要求も多く、社にとって煙たがられる存在だったとも。見坊の粘り強い交渉には山田の意をくんだ部分もあったようでもある。社は、見坊と山田の距離を置かせることにした。

 その後、不仲とされた二人だが、関係は辞書の語釈を通じてやりとりされていたのかもしれない。後年、互いに評価していたという証言もある。

 ここまでが、佐々木健一「辞書になった男」の備忘録的なあらすじだが、著者がテレビのディレクターだからなのか、内容が何かくどい感じがするのだ。こんなに用例や語釈を紹介する必要があったのか。確かに「新明解」には個性的な語釈が多いのだが……。そして、家族の証言がとれている見坊側にやさしいような気がする。

 それを差し引いても本書は十分に辞書作りに魅力を語り、辞書からは見えづらい人間臭さを浮かび上がらせている。辞書が身近に感じる一冊ではある。