晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「片隅の人たち」

 自分の好きな作家や随筆家、詩人には、早川書房と縁があった人が多い。常盤新平さんもその一人だ。「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジンEQMM)」の3代目編集長であり、アーウィン・ショー「夏服を着た女たち」などの翻訳者でもある。手がけた翻訳はあまたで、晩年は「暮しの手帖」で米雑誌「The New Yorker」がらみの記事を読んだ記憶がある。遅筆で有名だが、執筆意欲は旺盛だったと聞く。

 恥ずかしいことに、またもや常盤さんのエッセイだと思っていたが、自伝的な短編連作集だという。有名な翻訳家の名前が実名で登場するので、てっきり「実話」だと思っていたが、多少の脚色はあるようだ。常盤さんが下訳をしていた若き日の話がもとになっている。「片隅の人たち」とは翻訳者たちを指す。

片隅の人たち (中公文庫)

片隅の人たち (中公文庫)

 

  森喜朗さんの発言が問題になっている時期にそぐわないかもしれないが、「翻訳は老人と女の仕事ですよ」なんてセリフが出てくる。翻訳は家事に似ている。5時間から8時間も机の前に座っていないと出来上がらないということで言っているらしい。これは常盤さんのセリフじゃなくて、駆け出し時代に翻訳家が話していたことである。時代は1950年代半ばあたりだろう。

 じゃあ、どうして翻訳家になったんですか、と常盤さんは相手に聞く。「食わなきゃならないし、それに僕は辞書を引くのが好きでね」と答える。常盤さんは辞書を引かなくても翻訳できるようになりたいと思っていた。相手は、年を取ったら辞書を引くのがますます楽しくなったと話し、常盤さんにどんな辞書を持っているのと聞き返す。

 そういえば昨年末に、改訂された新明解国語辞典を買った。広辞苑もあるが、大きくて手に取るのが面倒なので、ついつい置物になってしまっていた(字が小さく感じるようになった)。長年、電子辞書が中心だったが、引き始めると意外と楽しい。遠い昔にこんな風に感じる時期があったはずだ。こうした感覚がよみがえってきた。

 脱線したが、また本編に戻る。常盤さんはその相手の翻訳家に、辞書に載っていない言葉もあるでしょうと聞く。相手は、ウェブスターやOEDを調べて、意味がわかった時の喜びは、探偵小説よりも面白いと話す。

 インターネットで検索ができる現在、翻訳者の仕事も多少は楽になっただろう。この本には、翻訳者が国際電話で筆者に問い合わせをして、その代金を翻訳者が持つなんて話も出てきているが、今ならメールなどで聞けるはず。でも、新語や造語が出てくるペースは昔よりもぐんと速くなっているのかもしれない。

 洋書も当時は(一段と)高かったに違いない。米軍ルートで安く手に入る洋書専門古書店や、自分も記憶にある銀座の洋書店イエナの話が出てくる。たいして読めもしないのに洋書に手を出したりと背伸びしていた時代が懐かしい。