戦争など国家同士の対立や革命が起こると、ふだんは政治と無関係と思われているスポーツ選手や音楽家までが「態度」の表明を迫られることがある(表明しないこともある種の「態度」であることも含め)。今なら、ロシアやウクライナがそうであろう。プーチン寄りとみられるロシア人指揮者が国外のポストを失ったり、ロシアでコーチを務めるウクライナの元サッカー選手が自国の元チームメートから批判を受けたりしている。
中川右介「国家と音楽家」を読んだ。フルトヴェングラー、カラヤン、ショスタコーヴィチ、パブロ・カザルスなどの音楽家たちが、国家や時の政権にいかに翻弄されたか、いかに抵抗したかが書かれている。ポピュラーな音楽が一般的となった現在と比べれば、クラシック音楽の位置づけは違ってきているのだろうけど、ヨーロッパ諸国では依然として国を代表する音楽としての側面も残っていると思われる。
ドイツではナチスとの関係が音楽家のその後の立場を大きく左右した。フルトヴェングラーは「クロ」と判断されて米国での職を追われた。ナチスから距離を置いたつもりだったが、枢密院顧問官というポストについては「役職ではなく称号なので辞任できない」とゲッペルスに諭され、ナチス崩壊までこの肩書にあったことで問題にされてしまった。もちろんユダヤ人音楽家は迫害の対象であり、著名な音楽家は国外に出た。
ヒトラーはワーグナーの死後に生まれており、ワーグナー自身はナチスではないが、反ユダヤの立場の人だった。ワーグナーは自作を理想的なかたちで上演するためにバイロイト音楽祭を創設。子どもたちが運営を受け継いでいた。ヒトラーはワーグナーの音楽と思想が好きだったため、チケットを組織的に購入するなど財政的に支援し、この音楽祭は総統の肝煎りとして、ドイツの主たる音楽祭に成長していく。ワーグナーの息子のジークフリートが亡くなった後は、残された妻のヴィニフレートに運営を託されるが、ヒトラーの政治力が増すと同時に音楽祭も発展していくが、ヴィニフレートはユダヤ人音楽家を出演させたり、収容所送りになった人を総統と直談判して救出したりしていたらしい。戦後は、ヒトラーやナチスとの関係を否定したり、距離があったことを強調したりする音楽家が多かった中で、彼女はヒトラーとの友人関係を否定せずにいたとのこと。これはこれでなかなかできることじゃない。
その他、スターリンとショスタコーヴィチ、ムッソリーニとトスカニーニ、フランコとカザルスの関係など読み応えあり。中川さんは元音楽誌の編集者で、膨大な伝記や資料をまとめたと思われる。年表やストーリーに関連するディスクの紹介が嬉しい。つい数枚買ってしまった。