晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「光の闇」

 自分の中で佐伯一麦さんの存在が大きくなってきた。何か読みたいと思って探したのがこの本。文庫化された本があまり書店になく(講談社文芸文庫は高い!)、Kindleで探した。購入したときは399円だったが、今現在は1319円になっている。ここらへんの値段設定ははよく分からない。

 前に読んだ「空にみずうみ」でもたびたび出てきたが、佐伯さんは、電気工時代にアスベスト被害で喘息に苦しみながら作家生活を続けている。自らの「肉体的欠損感覚」を端緒に、さまざまな「欠損感覚」を持つ人に出会うという連作小説になっている。私小説なので、いずれも実際にあったことがベースになっていると思われる。ノンフィクションのように読んだ部分がある。

 「欠損」との言葉にあまりピンとこないが、一般的に言う「障害」がある人たちを訪ねる。目の見えない人や、義足をしている人、コロナの後遺症でもあらわれた嗅覚がなくなった人、記憶や声帯を失った人が登場する。

 自分にとって、身近な存在は視覚障害がある人だ。近くに訓盲学院があり、最寄り駅が一緒である。こちらに絞って書こうかと思う。主人公はある盲学校を訪ねる。校内は廊下に点字のしるしもなければ、バリアフリーでもない。学校の先生によると、やがて障害物だらけの社会に出るので、校内でも特別なことをしないようにしているとのことだ。

 その後、視覚障害がある先生も含めて居酒屋へ行った。ビールや料理の位置を、3時の位置、12時の位置に置いたと説明する。もちろん、料理の内容も伝える。主人公は先生として苦労することを聞く。すると、記念撮影で「笑いなさい」って言うと「笑った顔ってどうやるんですか」と返されて困ったという。視力を失ったタイミングにもよるが、「笑う」という行為が自然にでることがあっても、わざわざ「作る」経験のない子がいたりする。「眉間にしわをよせる」は顔を触らせて伝えるのが可能かもしれないが、「神妙な顔」「澄ました顔」となると、それでは伝えるのが難しいという。

 視覚障害者用の音響式信号機。「メロディー式」と「擬音式」があるが、やはりメロディーの方が、青色になってからの時間がわかりやすいという話も出ていた。他に、メロディーの方が音が連続していて方向が認識しやすいとの声もある。とはいえ、日本はほとんどが「カッコウ」「ピヨピヨ」の擬音式になっているそうである。主人公は執筆中に東日本大震災に遭う。震災後に行われた盲学校の弁論大会に主人公は審査員として参加するが――。

 常に「ある」部分が「ない」という感覚を少しながら味わえた気持ちと、「欠損」している人たちのたくましさ(たくましさとは、ちょっと違う気もするが)も感じ取れた気持ちになった。考えさせられた。