晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「終わりの感覚」

 数十年ぶりに友人に会うと、こちらがそれまで忘れていたことを相手がしっかりと覚えていることがある。それどころか、その相手はこちらが忘れていたことを軸に自分という人間との関係性を記憶している場合があり、(表情には出さないものの)とまどうことがいくつかあった。

 小説なのでもっとドラマチックなのだが、いわば、そんな小説だった。5、6年前にこの小説を映画化した「ベロニカとの記憶」を見ているが、ほどよく忘れていたので、ワクワクしながら読むことができた。2011年に、ジュリアン・バーンズは本作でブッカー賞を受賞している。4度目のノミネートだったとのこと。

 60代に入ったアントニー・ウェブスターに、昔の彼女ベロニカの亡くなった母親から遺産相続の通知が来る。昔の彼女ならともかく、その母親から。昔の彼女ともとうに別れていて、その後別な女性と結婚し、その女性ともすでに離婚している状態である。離婚した相手は再婚し、トニーとはたまに食事するくらいの仲である。険悪な仲ではない。

 遺産は、500ポンドと二通の文書。金額は日本円にして10万円程度か。人に残す金額としてはいささか中途半端。二通のうち一通は、ベロニカの母からトニーへの手紙だった。もう一通は、ベロニカが持っているという。学生時代、トニーにはエイドリアンという優秀な友人がいた。トニーとベロニカが付き合っていたが、別れた後は、ベロニカとエイドリアンが付き合っていた。その後、エイドリアンが在学中に自殺している。彼の日記が、ベロニカが持っている一通なのだ。

 小説は、トニーの一人称で書かれている。トニーが知らないことは読み手もわからない。忘れ去ったことを少しずつ思い出していくところはちょっとした心理スリラーとも言える。トニーの語り口は軽妙で、その文自体もこの小説の魅力となっている。言い回しなんかは、英語学習者として原文が気になるところだ。

 最後の最後に、衝撃の事実が明らかになる。映画の内容を忘れていて、これほど良かったと思ったことはない。じゃあ、映画が良くなかったかと言えば、そんなことはない。大人になったベロニカ役は、好きな俳優のシャーロット・ランプリングだったし。

 日本語訳で200ページを切るくらいの、コンパクトな作品。何が起こるってわけではないが、トニーの独り言に引き込まれ、最後に落とされる。ジュリアン・バーンズ、恐るべし。