多和田葉子「犬婿入り」を再読した。いまやノーベル文学賞発表の時期には、候補として毎年名前があがる(日本のメディアのみかもしれないが)小説家の芥川賞受賞作だ。受賞は1992年の下半期(発表は翌年1月)。80年代後半に社会人になった自分が、給料から酒を飲み、本を買える余裕が出てきた頃で、多和田葉子さんの作品だけは、ほぼ単行本で買ってきた。
作風が好きなのが第一の理由だが、同時代の作家としてウォッチしていこうとの気にさせられたからだ。小説は、どうしても昔の作品を読むことが多くなるが、ともに歩む作家が一人くらいいてもいいだろうと。勝手に伴走者にさせてもらったようなものだが、30年くらい経っても第一線で活躍し、むしろ注目度が増していることに励まされる。今風に言えば、「推し」の成長ぶりがうれしく、先見の明が誇らしいといった感じか。もちろん、彼女の作品はすべて好きってわけじゃないんだけど。
読んだのは、昔買った単行本。文庫と同じく、表題作と「ペルソナ」の2編が収録されている。この「ペルソナ」もその前に芥川賞候補になっていた。
「ペルソナ」を読んでいる間に頭に浮かんだ言葉は、「偏見」「ステレオタイプ」「仮面」といったところか。ドイツのハンブルグに住む留学生の道子が主人公。ある病院の女性入院患者が韓国人男性看護師(作品では「看護夫」)に性的行為を受けたと訴える。しかし、そんなことをするようには見えない容貌だ、いやいや東洋人というのは一見そう見えて実は何を考えているのかわからない、とはた目の評価が飛び交う。はしょるが、個とは何か、個のあり方とは何かとぶつけてきている気がする。筆者のハンブルク生活が反映された物語かも。
「犬婿入り」は奇譚と言っていいだろう。短絡的だが、田山花袋「犬」を思い出した。そこまでエロティックではないが、まさしく多和田ワールドだ。文庫本はわからないが、単行本は「ペルソナ」「犬婿入り」の順で収録。となると、なんとかなく気持ちの動きを描いた「ペルソナ」よりも、塾の先生や生徒に動きがある「犬婿入り」の方がぐっとユーモラスで、通底する世界は近いものがあるにせよ、後者がぐっとエンターテインメントである。そうそうとうなづきながら読んだ。面白かった。