ふらっと行っても買いたくなる本があったり、狙った本がきちんと置いてあったりというのが、いい書店の定義かもしれないが、狙った本があったのに別の本を買ってしまわせる本屋も「いい書店」の類に入るのではないか。その意味で、横浜に新しくオープンした「象の旅」はいい書店である。よくぞ横浜に、僕が通える範囲内に、開店してくれた。
狙った本はいずれ買うとして、つい買わされてしまったのが、安野光雅「絵のある自伝」(他にもう一冊)。文庫本で安価ということもあったのだが、中を見ているうちに安野ワールドに引き込まれて、連れて店をでるはめになった。50以上の描き下ろしを含む。
2020年に亡くなった有名な画家。いまだに作品を目にする機会が多い。「旅の絵本」シリーズやちくま文庫の「文庫手帳」、自分でも「繪本 即興詩人」「繪本 平家物語」を持っている。松岡和子訳のシェークスピア全集の装画もそうだった。「馬の博物館」で展示を見て、関連グッズがほしくなった気持ちを抑え込んだ記憶もある。安野さんの絵柄に夢中になっていたせいか、不思議と人物そのものが気にならなかった。そういえば、お顔も存じ上げない。
この本は、日本経済新聞連載の「私の履歴書」をまとめて、描き下ろしの絵とエッセイを加えたもの。絵を見るだけで元はとれた気分である。島根県津和野の出身だったのか。子ども雑誌「少年倶楽部」に画家になるためにはどうしたらいいかと手紙を出したことがあったという。記憶によると、小5だったとのこと。
やはり戦争を体験した人に通底する、二度と起こしてはならないという気持ちが伝わってくる。船舶兵に動員された後、安野さんは教師になり、本の装丁の仕事をするようになる。35歳あたりに絵本作家デビュー。それから世界的な名声を得ることになる。
「旅の絵本」では当初、文字がなくて何がいいたいかわからないという評もあったという。「展覧会の絵でも見る場合は、その題名を先に見て、絵の意図を読み取ろうする人がある。題名を変えても絵の価値が変わるということはない」。自分もそのけがあるなと反省。
文字がなくても絵本になる。そういえば、ちょっと前に読んだ、谷口ジロー「歩くひと」もそのようなアプローチなのかもしれない。文字がなくても漫画になる。
なかなかしゃれの効いた人でもあったらしい。1970年の年賀状は、差し出し先を「小金井刑務所」とその住所にして、「今年は真人間になって働きます」と印刷しては、ご丁寧に、所長・看守長・看守の印まで添えてある(その図も収録)。本の後ろには、「広告のページ」として、今後出る本とその描きかけの絵が載っている。このような仕掛けが面白い。