晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「孤塁 双葉郡消防士たちの3・11」

 東日本大震災で甚大な被害を受けたのは、主に東北の太平洋側の3県。地震そのものが原因だが、宮城と岩手が津波、福島が原発事故による放射能汚染について語られる。津波の目に見える恐怖に対して、放射能は目には見えない。避難すべき住人たちの動きもどこか鈍い。それだけに混乱も多かったと思われる。吉田千亜「孤塁 双葉郡消防士たちの3・11」を読んで、そんなことを感じた。

 福島県浜通りに住んでいた者として、いわゆる東日本大震災の関連の本はできるだけ目を通しておきたいと思っている。この本は、地震原発事故発生直後に焦点をあてて双葉郡の消防士たちの動きを、聞き取りで追ったものだ。これまでも自衛隊ハイパーレスキュー隊の献身的な働きはテレビなどで目にすることがあったが、地元の消防士たちの動きに焦点を当てた記事はあまり読んだことがない。

孤塁 双葉郡消防士たちの3.11

孤塁 双葉郡消防士たちの3.11

  • 作者:吉田 千亜
  • 発売日: 2020/01/31
  • メディア: 単行本
 

  多くの消防士から聞き取りをしている。中には応じてくれなかった人もいたようだ。無理もない。思い出したくない人も多いはずだ。それでも結構な数。牛渡、志賀、新妻なんて姓は知人にもいたので懐かしい。

 2011年3月11日。地元の消防士たちの地震に対する初動は、津波などそれでも大地震から想定されるものだった。その後、原発に何かが起こっているということが耳に入ってくる。正確な情報が伝わってこない。指揮命令系統も混乱していた。被災地の消防力で対処できない時に応援でくるはずの緊急消防支援隊も双葉郡内には入らないということになってしまう。おそらく「外」の方が、事態を把握していたという事だろう。しかしながら救助や避難誘導など、地元の消防士だけでは手が足りない。

 彼らは同時に被災者でもある。家族には連絡がとれないまま活動している消防士や、逆に「行ってくれるな」と家族に止められる場合もある。放射能という目に見えない物質のせいで、反応が鈍い住民もいる。消防士たちは原発事故に関する知識は一般の人以上にはあるが、研修では基本的に安全と教わっている。そんなバカなことが起こるのかと思いながら、目の前の事態に急かされるように活動していたに違いない。

 被ばくは怖い。しかし防護服を着ていると避難する人たちの恐怖心をあおることもある。避難民に「仕事があっていいな」と皮肉を言われることもあったそうだ。

 第1原発の4号機で火災が発生した。原子炉冷却の要請に対しては情報不足のため保留していたが、火災となると消防の仕事だ。放射能が蔓延しているだろう現場に行くのは、決死の覚悟だ。取材を受けた一人は「きっと特攻隊はこうだったのだろう」と思ったそうだ。しかし特攻隊の方が心の準備ができる期間がもっとあったはずだと思う(その期間が長い分だけ残酷だと見る向きがあるかもしれないが)。

 来年は、東日本大震災から10年を迎える。新聞やテレビではそれに向けた報道がなされるであろう。しかし自然災害が毎年のように続き、このコロナ禍の中、振り返る気持ちになれる人間がどれだけいるだろうか。この10年、「被災者」の対象がずいぶん広がってしまった気がしている。