晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「線量計と奥の細道」

 先日の旅行で読む本は、ドリアン助川線量計奥の細道」が第一候補だった。なんか重いなあと思いつつ、奥の細道つながりで「わたしの芭蕉」から読み始めたのだが、この本を読むための伏線だったとも言える。この本は、東日本大震災の翌年、主に自転車に乗って、放射線量計とともに、芭蕉の「奥の細道」をたどった紀行文だ。全行程約二千キロ。「わたし」を読み終えて、この本に手をつけたのは、横浜から埼玉、群馬を回って、新潟から福島県に入って会津若松に着いたあたりか。そこで、主に翌日だったけど(帰路)、ドリアン助川さんが通った場所(芭蕉もだが)とかぶるところもあり、なんとなくライブ感覚で読んだ。

 人は忘れる動物なのだろう。忘れなきゃ先に進めない事もある。しかし、忘れずに教訓としておくべき事もある。自然の破壊力(2011年以降も毎年のように頭に刻み込む)や放射能の怖さは後者とすべきだろう。しかし、原発事故に関しては忘却が始まっていると、事故翌年にしてドリアンさんは感じていたのだろう。忘却があってはならないと、ペダルを踏んで芭蕉の道をたどる事にした。

 じゃ、なぜ「奥の細道」か。芭蕉が通ったコースには放射能によって汚染された地域が含まれている。今こそ、芭蕉が通った道をたどって、問題に向き合ってみようとしたとのことだ。原発というのは、昔でいう風流なところに建てられているのかもしれない。

 旅を4度に区切り、東京に戻った後はそれまで進んだところから再スタートする形でコースを進む。そして、ところどころで線量計放射能を測る。考えてみれば、マイクロシーベルトなんて言葉を久しぶりに目にした。福島を田舎に持つ自分だって、事故直後は、これからはこの数字に脅かされて生きるんだなと思っていたが、今は数字の高さにピンとこなくなっている。これもある意味、忘却なのだろう。

 翌年の記録だが、郡山、福島あたりは高い数字が出ていた。ドリアンさんが線量を測るのを、訪れた先の人たちは複雑な気持ちで見ていただろう。旅に出ている事を発信していたので、ドリアンさんの旅に同行したり、助けたりする人も現れる。ちょっと変わった紀行文だった。

 芭蕉の部分は、加賀乙彦さんの本がおおいに「予習」となった。しかし「芭蕉」を観光の呼び水にしている自治体の多い事多い事。やはり芭蕉は偉大だったんだな。