晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

映画「小説家の映画」

 韓国映画と聞くと、どこか Too much な盛り込みや、これでもかとばかりに話をひっくり返すような作品を思い浮かべる人も多いのでは。それでも、いろいろなタイプの作品を撮る人がいて、「何も足さない何も引かない」といった昔のコピーのような、シンプルな作品を作る人もいる。それが、ホン・サンス監督。彼の映画が掛かるときは、できるだけ時間を割くようにしている。でも、行けないときは行けないのだが(結構、多作だし)。

「小説家の映画」メイン写真(サイトより拝借)

 ごらんの通り、作品はほぼモノクロ。「イントロダクション」もそうだったが、モノクロ作品になると、安易ながら、彼に影響を与えたというゴダールロメールの作品が頭に浮かぶ。この「小説家の映画」もストーリーを引っ張るのは登場人物の会話である。

 さて筋だが、著名作家とはいえ、ここのところ作品を発表していないジュニ(イ・ヘヨン)がふと後輩の店を訪ねる。後輩はソウルから離れた場所で、カフェ併設の書店をやっている。昔は書き手だったらしい。手話を習っているというカフェ店員とのやりとりを見ていると、書けないもののジュニはまだ好奇心が旺盛であることがわかる。

 ジュニが店を出て、街の名所のタワーの展望台で景色を眺めていると、映画監督の妻が声をかけてきた。なるほど、彼女は相当著名だというのがわかる。しかも、映画監督は彼女の小説を原作として映画を撮ろうとしながらも、スポンサーの反対で話がなくなった、ジュニにとっていわくがある監督だった。

 3人が公園に向かうと、ウォーキング中のギルス(キム・ミニ)が合流するような形になる。ギルスは俳優だが、近年は映画に出ていない。映画監督がもっと作品に出てみてはという意味で「もったいない」という言葉を使うと、ジュニが映画監督にかみつく。自分の判断で出ていないのに、何が「もったいない」のかと。

 ジュニとギルスは意気投合した様子。ジュニは、ギルスを主演に映画を撮りたいと話す――。それが、「小説家の映画」というタイトルにつながっていく。

 ジュニが語る、作家としての悩みや人生観などは、監督を代弁しているようにもとれる。他の作品もそうなのだが、ホン・サンス監督というのは、俳優に「演じさせない」ような気がしている。まるで、素がそのまま映画になっているような。となると、俳優たちもなかなかな演技力と言えるのかも。引き出し方がうまいのかなと思う。

 うだるような暑さの中、どこか涼しさを感じるような作品だった。