晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「日々是好日」

 「にちにちこれこうじつ」と読むそうだ。「好日」は「こうにち」説もあるそうだが、著者が読み慣れた方をタイトルとした。昔、通ったことがある代々木ゼミナールが「日々是決戦」というスローガンを掲げていたのを思い出した。こちらは「日々」が「ひび」だったと思う。

 著者の森下典子さんの25年間にわたるお茶のお稽古について書かれた一冊だ。お茶の本ではあるが、人の生き方や考え方、人生の楽しみ方を教えてもらった本だ。当方、茶の世界は全く無縁であるが、このような楽しみ方もいいなと思ってしまった。茶の世界は別として、そこから見えてくるものにあこがれたというべきか。

 著者の森下さんは、いわゆるフリーライター。ベストセラー(本作)を出しているからエッセイストと呼んでもいいのか。大学生の頃から、母の友人にお茶を習い始める。気は進まなかったが、いとこが乗り気で一緒に稽古事として通う事になった。

 ここで作法やしきたり、道具については書かない。一度読んだだけで、覚えられるものでもなし、それはもっと興味を持てた時に掘り下げる事にしよう。とりあえずは周辺の事というか、日常的な事に焦点を当てたい。

 歳をとってもそうなのだが、茶がわかると、季節がより細分化されてくるそうだ。春夏秋冬プラス間に梅雨、くらいにしか感じてこなかったのが、折々の花や暦の事を知るせいだろうか。いいな、こういうのとあこがれの念がわいてきた。和菓子も一役買うらしい。若い時は、もそもそした食べ物くらいにしか感じなかったけど。

お湯は「とろとろ」と、まろやかな音だった。

水は「キラキラ」と、硬く澄んだ音がした。(第七章 五感で自然とつながること)

 たった二行だが、ここは唸った。そうだよね、そんな感じだよね、と。自分がお湯に「とろとろ」を感じるのは、温泉に湯が入っていくイメージだが、確かに茶の世界でもありそうだ。水のキラキラは、山歩きした時の湧き水という感じか。

 一緒に習っていた人たちが、就職や結婚、出産で茶の世界から離れていく。卒業直後は、就職できずにフリーな立場で記者・編集者をやっていて、こんなことをしていていいのかと焦る事もあった。やめようと心に決めた事もあったが、最後に呼び戻してくれたのはやはりお茶だった。やめるまで続ければいい。当たり前の事だろうけど、なかなかの境地に達したものだと思う。

 まったく別の世界から、教えを受けたような気持ち。これも「新潮文庫の100冊」キャンペーンから。なんか良い出会いだった。