晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「非色」

 新型コロナウイルスは2020年を象徴する出来事であろう。できれば、来年には終息とはいかないまでも収束の方向に向かってほしいものだ。「終息」となるとそれなりの定義があって、数年かかることになる。今年は、Black Lives Matter が声高く叫ばれた年でもある。この有吉佐和子さんの1964年発表の小説を、河出書房新社が文庫で再刊したのも、そんなところに理由があると思われる。

 この本の人種問題に対する感覚は、自分の親か祖父母の時代のものに近い、いわゆるステレオタイプなのだが、すでに払拭された問題なのかと問われれば言葉に詰まる。否である。現在は取り繕われている分だけ複雑化しているように見えるし、まさしくライブな問題でもある。

非色 (河出文庫)

非色 (河出文庫)

 

  舞台は終戦直後の日本、そして米国のニューヨークと移っていく。笑子は終戦の年に女学校を卒業。仕事は進駐軍関連しかない。キャバレーのクロークとして勤務。そこで米軍に所属するトーマス・ジャクソン伍長に見初められ、付き合いが始まる。ドルの力もさることながら、PXで売られているものを横流しして、笑子や笑子の家庭(母と妹)の生活水準はぐっと上がってくる。

 いざ結婚となると、家族の反対にあう。理由は、トーマスの肌の色である。暮らしを良くしてくれて、日本人と比べると「紳士的」でもあるトーマスを交際中はもてはやしていた母親だが、黒人に対する先入観や外聞もあって強く反対する。笑子は結婚を強行して、子どもを産む。メアリィは子どもの頃こそそうでもなかったが、特徴はトーマスに近くなっていく。そのトーマスも、その特徴が表面化していない時分には娘を可愛がり、自分にはアイルランド系の血が入っているなどと言っていたが、特徴が出るにつれて落胆した様子を見せる。

 トーマスが帰国。笑子は、それを機に磨きをかけた英語を使って、娘を日本で育てていくことを決意する。しかし、笑子の英語は黒人訛りがひどいとして面接では落とされ、肌の黒いメアリィは蔑如や好奇の目で見られ、友達ができない。笑子も「夫が米軍に所属していた」とは言えても、黒人兵だったとは言えない。それなら、当たり前に黒人がいるところに行こうと、トーマスに連絡を取り、米国に渡ることを決意する。

 米国に渡る貨物船の中で似たような境遇の「戦争花嫁」と一緒になる。笑子と一緒で配偶者が黒人の妻もいれば、白人の妻もいる。米国に住んでわかることになるのが、白人とひとまとめにくくってるが、その中にも「階層」がある。日本にいる時は、黒人と白人の違いはわかるとはいえ、それぞれアメリカ人だった。それ以上に「細分化」されていることには気づかなかったのだろう。

 トーマスは本国に妻がいるわけでもなく、その意味では誠実な男性だった。しかし、日本で会った時のような輝きは失っていた。戦争が終わり、軍から除籍された(黒人が先だったようだ)トーマスは自分ひとり生きていくのが精いっぱいで、住んでいるのはニューヨークのハーレムの半地下の部屋。人種のるつぼである米国には、蓄積されそれが絡み合ったような人種問題があったのだ——。

 著者の略歴を見ると、1960年前後にロックフェラー財団から奨学金をもらって米国に留学している。おそらくであるが、この頃に見聞して感じた人種問題もこの作品に取り込まれているのだろう。そもそも「複合汚染」しかり、ルポルタージュのような手法が上手な人である。

 小説は、笑子のある覚悟でもって終わる。タイトルの「非色」は、肌や髪、瞳の「色に非ず」という著者のメッセージと受け止めることができる。ステレオタイプな分、ストレートに考えさせられた小説だった。