晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「深い河」

 「ディープ・リバー」と読む。遠藤周作さんの後期の代表作と言っても差し支えないだろう。彼なりの、神についての一つの結論が書かれているという。若松英輔「日本人にとってキリスト教とは何か 遠藤周作『深い河』から考える」が読みたかったのだが、書店で見つからず、この「深い河」が古本で見つかったのでこちらを読んだ。順序としても、そうあるべきだろう。小説としても傑作だと思った。

 個々のエピソードから入っていくので、舞台がインドとなるのは、ほぼ後半から。妻が旅立つ際に「必ず……生まれかわるから」「私を見つけて」と言われた磯辺は、妻の死後にその存在が大きくなっていく事に気づく。

 その最晩年の妻を介護していたボランティアの美津子。学生時代も今も、人を深く愛せない性格・信条のようだ。その学生時代に弄んだキリスト教信者の同級生男性との話が紹介される。その後、結婚するが人にのめりこめない性分のまま、結局は離婚する。その後、医療ボランティアをするが、どこか突き放したところがある。

 ビルマ戦線から生き延びた木口は、戦友だった塚田を失い、童話作家の沼田は、鳥に自分の命を救われた(代わりに死んでくれた)と思っている。この4人が同じインド旅行のツアーにでる。

 美津子は弄んだ男性(大津)がその後神学校に進みながら欧州のキリスト教者とは相いれられずに苦しんでいる彼に、フランスの新婚旅行中に会いに行っていた。信仰を馬鹿にしながらも、そして大津を見下しながらも、愛を信じられない自分の心の空白を埋めてくれる存在とみているのかもしれない。その大津が今はインドにいると知ったのだ。それそれの人生が、転生を信じる人が集まるガンジス河で交差する。宗教とは何か、愛とは何かを考えさせる小説になっている。キリスト教観、宗教観というのが教条的なものではなく、もっと柔軟で、かつあやふやで、そもそも神は人に宿っているのではという気持ちになってきた。

 遠藤周作自身が翻訳している、モーリヤック「テレーズ・デスケイルウ」や、「おバカさん」の主人公と同名のガストンが登場して(役回りは違うと思うが)、遠藤作品の集大成のようにも思えてくる。