晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

また浸かりたい横浜の銭湯①

 走って、そのまま銭湯に直行するパターンが多い。午後3時前後に開店する銭湯が多いため夏場は避けるが、遠方にある銭湯を目的地にするのがちょっとしたモチベーションになる。長い間、風呂無しアパートに住んでいたため、銭湯依存度が高かった。

 でも銭湯(一般公衆浴場)は減る一方だ。横浜の銭湯の数は、1989年には270軒ほどあったが、2010年代には100を切った。今や49である。横浜は18区あるが、銭湯があるのは11区だけ。うち5区は3軒以下だ。記憶にとどめておこうと、コロナ禍が明けたあたり(厳密にはまだだろうけど)から会社帰りに生活圏外の銭湯に寄っている。横浜は意外と広い。知らない街を散策する楽しみもある。

子安にある井川湯

 とても印象に残っている銭湯の一つが、井川湯だ。横浜には40年住んでいるが、京浜急行子安駅で降りたのは初めて。駅から国道15号に出て、やや新子安より歩いて海側の小道に入っていくと、かすかに潮の匂いがしてくる。昔は漁師町だったのだ。いや、穴子漁を続けている人はまだいらっしゃるとか。

 横浜に現存する銭湯はおおかた入ったつもりだが、ここはたぶん横浜で一番コンパクトな銭湯だと思う。小さめの湯船が二つ、カランは一列6つずつ12あるが、それぞれの幅がせまい。いわゆるスーパー銭湯なら4つ分くらいのスペースではないか。社員寮の風呂といっても通用しそうな広さ(狭さ)である。

 実は他のブログを読んで、姉弟二人でやっていることは知っていた。番台のお姉さんは読んだ以上に感じの良い人。建物からして古いので、創業はいつなのかと聞いたら明治後期だという。横浜では2番目に古い銭湯とのこと。実は、これも知っていたのだが、一番古いところを知りたかった。すると「石川町の小山湯」だという。でも、こちらの銭湯はすでにマンションの一部となっており、とても明治時代から続けている湯の面影はない。こちらは、関東大震災を耐え、空襲もまぬがれたままに残っている。

 最近はファミリー層狙いなのか、水道代の節約なのか、比較的広くて浅い湯船が多い。自分は、井川湯のように脚を伸ばさなくても肩まで浸かれるような深めの湯船が好みである。こちらの方が疲れがとれるような気がしている。少なくても家の風呂では絶対にできない贅沢な湯(水)の使い方だ(湯船の大きさも違う)。弟さんが薪で沸かしているという。この夏はあまりに暑くて、火曜と土曜と週に2度定休日にしたと言っていた。そりゃ、この暑さの中で薪をくべるなんて想像もしたくない。

 現在が4代目。弟さんとは話をしていないが、井川姓なので跡継ぎなのだろうか。お姉さんは「私が4代目だから、いかに古い銭湯かわかるでしょう」と冗談めかして話していた。確かに高齢であることは間違いないが、大正時代の料金表を見せてくれたりとフットワークの軽さは見事なものだった。昔は、漁に出る人が「○○時に戻るから」と声をかけていって、その時間に合わせて湯を沸かしていたそうだ。もう少し涼しくなったら、周辺の散策を兼ねてまた寄りたい。帰りに「開かずの踏切」に遭遇してしまったので、次は隣の駅まで歩こうかと思っている。

 4、5軒になると思うが、気に入った横浜の銭湯を不定期に紹介していく(備忘録代わりでもある)。