それこそカード会社の思うつぼなのだろうが、クレジットカードで物を購入する時に、一定の金額を超えるように品数を増やしたりすることがある。コンビニでのカード決済も当たり前になり、数百円でもカードで払うのに慣れてきたのに、やや立派な店舗だと、変な見栄が生じるのか、つい一品足してしまう。大型書店で、そのように購入してしまったのが、この本だ。タイトルには「今日もゴクゴク、喉がなる」とある。季節柄ぴったりだ。
ビールは好きなのだが、最近控えている。走る手前、そして年齢的にも、気を遣っているつもりである。しかしまあ、これだけ暑いと、店に入って最初の一杯くらいはどうしても「とりあえず、ビール」になってしまう。すぐにおなかにたまって、量は飲めなくなってしまったが、この本で疑似体験をさせてもらおう。
そうそうたる面子だ。専門家とも言える坂口謹一郎、食の世界に詳しい小泉武夫、北大路魯山人、平松洋子、(比較的)若い人だと、川上弘美、角田光代、恩田陸。食べ物についての文が多い、吉田健一、山口瞳、田中小実昌。そして開高健に、村上春樹。阿川佐和子・阿川弘之親子など。池波正太郎の名前がないのが、意外なところか。版権の問題もあるだろうから、難しいのかもしれない。
もちろん切り口は様々。泡の有無や配分、米国やチェコなど外国のビールや地ビールについて、ビールのつぎ方などなど。伊藤晴雨による「ビールが人を殺した話」は、ビール殺人事件というわけではなく、ビールがらみで死者出たという歴史的な話だ。昔はビールを「半瓶売り」していた時代があったという。抜いた時に飲めるのはいいが、残り半分は飲みたくない。国によってはビニールで「量り売り」をしているそうである。ぬるいのに決まっている。これまたご勘弁だ。
「孤独のグルメ」の原作者・久住昌之は、適当な造語でやきそばとビールの取り合わせの魅力を語っている。「九月のやきそビール」。タイトルから、B級な雰囲気を感じさせる。一種のテクニックと言えるかも。最近、トッピングで自分の好きなやきそばにしていく「まるき」という焼きそば屋(居酒屋)の記憶がよみがえってきた。目玉焼きだけでシンプルに攻めたが、次回は下品にいろいろ乗せてみようと思う。話がそれた。
鷗外の娘・森茉莉が書いた「独逸と麦酒」もうなずかされた。日本人は酒場を使って話しこんだりするが、ドイツ人はまさに「ビールを飲みに来る」そうである。そうかもしれない。
アンソロジーは、カバーできない作家を知る良い機会だと思っている。しかし、この本に登場する話は結構知っている(読んだことがある)ことに気がついた。酒と作家というテーマが好きなのでそれ相当に読んでいるからだろう。でも、忘れていた話がほとんど。また、新鮮な気持ちで読ませてもらった。味はわかっているのに、また喉元を通るのを楽しむ。まるで酒と一緒じゃないか。44杯(編)も飲んだ。ごちそうさま。