晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「人生処方詩集」

 あけましておめでとうございます。

 2024年の読書は、ケストナー「人生処方詩集」でスタートした。何か意味があるわけではなく、年末に読んでいて越年してしまっただけなのだ。ランニングと朝食を終えた後に、残り部分を一気に読了。ケストナーと言えば、「飛ぶ教室」が有名で、NHKラジオの高橋源一郎さんの番組はこの本からタイトルをいただいているはず。

 この本は「人生処方」と称して、いわば「症状」(悩み?)に合わせて詩が読めるようになっている。面白いのは目次の他に「使用法」というページがあって、「結婚が破綻したら」とか「なまけたくなったら」などの状況により、読むべき詩が複数薦められている。とはいえ、効果のほどはわからない。

 例えば、「これが運命だ」という短い詩。

これが運命だ

妊娠と

葬式のあいだに

あるものは 悩みだけ(訳:小松太郎)

 ここでの「妊娠」は母の体内で命が宿った状態という意味だと思うが、いわば人間とは生まれてから死ぬまで悩み続ける存在なのだ、といいたいのだろう。ユーモアやウィットに富んだ作家であったことは間違いないが、作品の発表が1936年であることもあり、理解が難しい詩もある。当時のドイツでは彼の作品によって同国の詩の人気が復活したのだという。上に引用した詩のように、気取らず即物的なところがとっつきやすかったのだろう。 

 ファシズムに反対していたため、ナチスには目を付けられていたとのこと。著書が焚書の対象になり、その燃やすところを見学しに行ったというエピソードもある。しかしながら、母親を国に残して亡命はできず、「残虐行為の証人」になるためと国にとどまった。骨のある人だったのだろう。ケストナーがすでに人気作家になっていたため、ナチスも簡単に手を出せなかったということもあるらしい。

 訳者は小松太郎さん。個人的には、カレル・チャペック「園芸家12カ月」でお世話になった人だ。チャペックの作品もどこかユーモラスな雰囲気が漂うものだったけど、本人もそのような作品を好んで訳したのかも知れない。神社のおみくじは「吉」だったけど、この作品は「中吉」くらいかも。良いスタートだ。