晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「ダライ・ラマ六世恋愛詩集」

 チベット仏教に強い興味があるわけではない。どんな詩なのだろうという疑問が先だった。じゃ、安いし薄い本だし、ちょっと読んでみようかと。ノーベル平和賞を受賞している、みんながよく知っているダライ・ラマが十四世。この詩人のダライ・ラマは六世で、17世紀の人である。亡くなったのは18世紀に入った後だけど。

 先入観なしに読んでいて驚いた。非常に俗的なのだ。いわば煩悩だらけ。若い女性を好色のまなざしで見ているような詩が続く。え、チベット仏教ってこんななの?と思ってしまったが、考えてみればタイトル自体も「恋愛詩集」だし、このダライ・ラマさんは早々と自ら還俗(げんぞく)したらしい。

 岩波文庫は、表紙に内容の紹介が書いてあることが多いのだが、帯に少女漫画チックな絵が描かれていてそこを読むのを忘れていた。そこを最初に読んでいれば、俗人っぽい詩が載っていてもさほど驚かなかったであろう。もしかしたら、買わなかったかもしれないが。

我がラマ僧の御前に

教えを乞いにに進みしも

御法はうわの空にして

愛し娘想う心のみ

 とはいえ、六世の詩はいまもチベット語圏の人々に読み継がれており、ダライ・ラマの中で一番の人気だそうである。詩よりもこの人の人生に興味を持った。本も詩の部分よりも解説の部分が面白い。

 ダライ・ラマというのは、いわば初代の生まれ変わりとして受け継がれていく。つまり今の十四世も初代が「化身・転生」した姿で、そこから数えると、現在は632歳ということになる。ちなみに「ダライ」がモンゴル語で「大海」、ラマはチベット語で「上師」。そもそも初代からダライ・ラマと呼ばれていたわけではなさそうだが、そこらへんは深入りしない。

 偉大とされる五世が亡くなったが、その死は公には伏せられて、五世の指示を受けたとされる人物が国政を受け持ったとのこと。いわゆる五世の名を語って、思うようにしたい者がいたのだろう。しかしながら、後継者捜しはこの間にも行われていて、この六世に白羽の矢が立った。でも五世の死は公表されていない。表向きは別の高僧の化身として英才教育を受けたという。

 1682年の五世の死が公表されたのは97年。六世となる彼はすでに数え年で15歳に達しており、両親と暮らしていたところから(途中に父が急逝)、いきなり公衆の前に押し出されることになった。突然、観音菩薩の化身でありチベットの最高権威の役職につくことになるのだから、そのプレッシャーは半端ない。やはり耐えられず、数え年20歳で地位を返上して、還俗することになった。ダライ・ラマ史上、現在においても途中で辞めたのは彼だけだという。その後、23歳で生涯を終えることになる。病死とされているが、処刑説が有力のようだ(やはり放蕩のせいなのか)。

 その後、我こそは真正の化身だという六世が登場し、七世が登場したときには、六世(詩人)が間違いだったので、彼(七世)こそ六世とすべきだという主張もあったらしい。対立して出てきた六世は廃位に追い込まれ、七世に正統性が認められることになった。この詩人の六世がダライ・ラマの系譜に残ったということなのだろう。

 道を外したダライ・ラマだったせいか、親近感からなのか、この六世は非常に人気が高いらしい。詩自体も、彼が詠んだということにした「後付け」の詩もあるらしいが、非常に親しまれているとのことだ。人間味を感じるのかもしれない。確かに、詩よりも、六世ツァンヤン・ギャンツォの人生がずっと面白いと思うのは、僕だけじゃないと思う(ちなみに今のダライ・ラマの名は「テンジン・ギャンツォ」)。