晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「古くて素敵なクラシック・レコードたち」

 村上春樹さんの小説には、音楽が登場してくる。ジャズもあればポップスもある。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」あたりはクラシックも出てくる。小澤征爾さんとの対談もあるし、相当に詳しいのだろう。この本は、村上さんが持っているクラシックのLPレコードの486枚を紹介している。「クラシック・レコードたち」と英語から訳した風のタイトルが、彼らしい気がしている。

  カラフルでプラスチックのケースに入っている。こんなところでお金をつかっているのに2300円(税別)。さすが文藝春秋だが、それだけ捌けると踏んでいるのだろう。ジャズでは、「ポートレート・イン・ジャズ」なんて本もあるが(イラストは和田誠)、やはりこういう本は文庫サイズではなくて、単行本で置いておきたい。

 当方、歳をとるにつれてクラシックを聴くようになってきているが、レコードプレーヤーはないしCDで購入しているので、このリストと重なるのは、グレン・グールドくらいか。自分にとっては、ほぼすべてが目新しい。

 一読して思ったのは、チョイスに偏見がないというかずいぶんと幅広く選んでいるということ。自分などは、まだ日が浅いせいか、よく知らないくせに、これまた知らない指揮者や演奏家、オーケストラを避けがちなのだが(中古で値段に負けて買う時もあるが)、なんかチョイスが自由な気がする。むしろ、有名なウィーンフィルとかを避けているのではいう気がするくらい。ジャケ買いではないが、もうちょっと直感めいたものを大事にして、買った後はしっかり聴いてみるのが大事かなと思った。

 曲を聞いた後の感想というか言語化だろうか。どうも言葉にできないのである。クラシックというのは落語を聴くのと似ている部分があると思う。つまり、同じ演目を複数の演者で聴いたり、買う前から曲(噺)の内容をほぼ知っていることが多いことだ。志ん朝の落語が華やかだったり、圓生のは隙がなくしっかりしていたりと、落語なら多少なり表現できることが、クラシックではできないのだ。硬い、やわらかいくらいは感じるのだが。実は本を読んだ後、同じ曲を違う演者で聴いてみたのだが、違うというのはわかったけど、なかなか言葉にならない。村上さんはプロだから当たり前かもしれないが、ここらは妙に感心する。好きな人はみんなできるかもしれないが。サッカーや野球なんかもそうかな。

 このようなガイドブックめいたものは、読む側の幅を広げてくれる。プロコフィエフ「キージェ中尉」では、スティングが曲のもとに使ったり、ウェス・アンダーソン犬ヶ島」で使われた曲があるのか。そのほか、スペイン系のアーティストやハンガリーの指揮者などに興味が持てた。早速、中古CDに行って物色したくなった。