晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

映画「丘の上の本屋さん」

 タイトルからくる先入観以外は何も情報のまま映画を見た。いわゆるほっこり系な映画なのだが、鑑賞後は久々にパンフレットを購入してしまった。なんというか、余韻にひたりたくなったのだ。失礼ながら、たぶん後世に語り継がれるような作品でないだろうし、イタリア・ユニセフが共同製作に参加しているので、なんか説教くさいと思う人もいるかもしれない。でも、本や読書のすばらしさを伝える作品として、しばし記憶にとどめておきたい。

移民の子エシエンと古書店店主との交流が始まる(映画.comから)

 「イタリアの最も美しい村」と謳われるチヴィテッラ・デル・トロントが舞台。昔はナポリ王国の要塞だったようだ。現在は5千人ほど居住している。そこで、古書店を営む老人リベロ。「自由」を意味する彼の名前が、この映画のテーマそのものである。カフェで働くニコラや、拾った本を売りにくる移民のボジャン(リベロが買い取るが、客には売らない)などとふれあう毎日が続いている。ある日、移民の子・エシエンが店頭に置かれた本を眺めていた。リベロがその本(漫画)を貸した事からこの少年との交流が始める。漫画から童話、小説と様々な本を貸しては、感想を聞くリベロ。エシエンも読書にはまり、すぐに次の本を借りに来る。

 古本屋には他にも客が来る。ネオナチのような右翼志向の男性、かつて自分が出した本を探す教授、主人に頼まれたフォトコミックを探す女性、発禁本を求める神父、「人間の触れあい」を研究するSM趣味の女性など。もう一つの筋は、ボジャンが持ってきた日記の内容。日記と、エシエンの読書やリベロの人生がどこかシンクロしているように感じられるようになっている。

 映画の結末には触れないが、イタリア映画でよく感心させられるのが音楽である。「ニュー・シネマ・パラダイス」「イル・ポスティーノ」「ライフ・イズ・ビューティフル」のような、時間の流れを止めるようなどこか懐かしい音楽が、この映画の背景に登場する。

 この映画に出てきた、カルロス・ルイス・サフォン「風の影」の一節。「持ち主が代わり、新たな視線に触れるたび、本は力を得る」。ついついこの本を買ってしまった。この本の存在を教えてもらい、(古い表現だが)「一粒で二度美味しい」映画となった。古典の力を見直すきっかけにもなった。