短歌は、「詠む」わけではなく「読む」だけ。特に詳しいわけでもないが、俵万智さんの歌集はずっと買っていると思う。と思って調べてみたら、「かぜのてのひら」(第二歌集)は未読だった。気にしてしまうと気になるのだが、お題は、今回読んだ第七歌集の「アボカドの種」である。こちらで話を進める。
俵さんがこっちに寄ってきたのか、自分が近づいたのかはわからないが、非常に親近感が沸く歌集になっている。歳が近いのもあるが、子育てや両親の介護・世話や、世界的な共通体験となってしまった(突き詰めると個々で違うけど)コロナ禍の歌などが詠まれているからだろうと思う。
イーロン・マスクがツイッター社買収して「X」にしたときの歌。
言の葉をついと咥えて飛んでゆく小さき青い鳥を忘れず
こちらはこの本を読む前に、実際に買収時にSNSで触れた歌。このように、コロナもそうだが、東京五輪などのイベントのタイミングで詠まれた歌も多く、記憶が少しよみがえってくる。
2年前に還暦を迎えている。息子さんとの距離感がどこかほほえましい。
40+20=60 母として成人している還暦の朝
ため息で消せぬ強度の炎あり60という数字の上に
「どんぶりで食べたい」というほめ言葉息子は今日も言ってくれたり
仙台に住んでいたが(出身は大阪)、東日本大震災で石垣島へ移住。宮崎に移った後、両親のサポートのためにまた仙台に戻ってきた。息子さんは東京で大学生活を送っている。
「ホスト万葉集」の編者を務めたので、それがらみの歌もあった。
一円の得にもならぬ歌を詠みホストが迷う「の」と「が」の違い
その他、韓流ドラマにはまっているのがうかがえる歌もある。ちょっと読みを間違えているのはご愛敬だが、言葉の感覚はするどいと思った。
東京で暮らしている息子さんの家に「生存確認」に訪れた歌も面白い。ここらは「サラダ記念日」で前衛的と言われた俵さんがまさに母親している。こんなところに今回の歌集は親近感を感じるのだろうと思った。
一人暮らし始めたばかりの子の部屋の冷蔵庫にて冷える缶詰