晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「言の葉さやげ」

 茨木のり子さんの「言の葉さやげ」を読んだ。茨木さんの本は割と手元にあるが、この本は言葉に関する文をまとめたもの。巻末の初出一覧を見ると、所蔵の本と被るエッセイがあったけど、そもそもこの「言の葉さやげ」として本にまとめられたものだから、こちらで読むことにした。方言、詩の朗読、詩人論といずれも興味深い話題ばかりだった。

 茨木のりこさんは実母は山形は庄内地方の出身だったそうだ。東北人にありがちだが、お国言葉に劣等感があり、標準語を使うとなると慣れないせいか世間に対しては寡黙になりがちだったそうである。今では「お国言葉」を売りにしているタレントさんが増えているように思えるが、その昔はそうでなかっただろう。福島出身として体験的に分かる気がする。茨木さん自身は、(自身が育った三河弁よりは)母の国の言葉が好きだそうである。茨木さんは11歳の時に母親を亡くして、2年後に父が再婚している。母のおもかげを追っているかもしれない。

 面白いと思ったのは、外国では詩の自作朗読がさかんだが、日本ではそうでないという話(「語られる言葉としての詩」)。今もそうだが、確かに日本では朗読を聞きたいという人がそもそも少ない。和歌や俳句は「語られる」のだろうが、詩を朗読する文化が古代以来なかったのではという話である。茨木さんの作品もラジオドラマになった機会があったそうだが、朗読する側はアクセントや鼻濁音に気を遣うよりも、内容自体を自分自身に取り入れてデフォルメするところ選ぶところにエネルギーを使ってほしかったと語っている。よく、俳優が朗読を担当するが、「正確さ」より、作品の解釈と気持ちが大事というところだろうか。

 後半、いわば詩人論。取り上げられる詩人は、谷川俊太郎井伏鱒二金子光晴石垣りん工藤直子の各氏。金子光晴さんについての文章は思い入れがすごい。取り上げられた詩人はいずれも好きなので、強いサポートを得た気持ちになった。