晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「下戸は勘定に入れません」

 帰省からの戻りは青春18キップを使い、遠回りをして車内でのんびりと過ごした。子どもの頃、ひどく退屈に感じられた磐越東線(いわきー郡山間)が、自然を豊かな、魅力的な路線に思えた。歳をとった証拠だろうか。猛烈な日差しを遮るためだが、車窓のブラインドが下ろされていたのがやや残念なくらい。乗車口から見える緑が鮮やかだった。

 常磐線無人駅から乗ったので18キップのスタンプは押してもらえず、乗車駅証明書発行機から券を発行して、いわき駅で押してもらった。手順として正しかったのか、その券を見せるとすぐに応じてくれた(券は駅員に渡した)。1年ほど前に小高駅で読書中の女学生に発行機を教えてもらったのが役に立ったようだ。「ア・ルース・ボーイ」を郡山駅で引き継いで横浜駅までつきあってもらったのが、西澤保彦「下戸は勘定に入れません」だ。

 西澤保彦さんの本を読むのは初めて。しかし、この作家がお酒をネタにしたミステリを書くのは随分前から知っていた。「麦酒の家の冒険」という題の小説があるのを知ったのは、かれこれ20年以上前か。酒がらみならと飛びつきたいところだったけど、なぜか向き合う機会のないまま、鎌倉の書店だったと思うが、中公文庫希少本フェアでこの本に出会った。

 少し前に読んだミステリの展開にちょっと不満があったかもしれない。もっとベタなミステリで読み直しをしたいと思っていた。とはいえ、西澤さんはミステリとSFと酒を掛け合わせた癖が強めの作風だ。ミステリは、作家が提示したリズムに読み手が乗れないとそこで関係が破綻する。その意味で、評価が大きく別れる作家ではないかと思うが、自分としては大正解だった。

 前置きが長くなってしまった。バツイチの准教授である古徳は寂しい年末を過ごしていた。どうやら自殺願望があるらしい。酒が入った状態で川を見ると飛び込むことを考えてしまう。酔って迷い込んだのは高級住宅街。そこに運転手付きの車で自宅に入っていく、高校の同級生だった早稲本に会う。高校時代に古徳が付き合っていた女性と早稲本は結婚しているのだった。表札を見て避けようと思っていた古徳は、早稲本から声をかけられて自宅で飲むことになった。妻と娘は年末恒例のハワイ旅行で、早稲本は仕事を片付けて合流することになっているらしい。ちなみに娘は古徳が教鞭をとる大学の卒業生である。早稲本は、この娘が自分の子どもがどうかを、つまり妻の不貞を疑っていることを告白する。

 古徳には妙な能力がある。ある条件が揃うと、酒の相手を道連れに時間をさかのぼってしまうのだ。実体ではなく意識だけだ。この日は12月26日の日曜日で雪の降った。同じ状況だった日にタイムスリップしてしまうのだ。必要条件は、酒と道連れ。古徳も早稲本も同じ日で同じ曜日だった1982年にカティサークを飲んでいた。高校卒業生の親睦会だったようだ。その席には妻となる美智絵もいた。早稲本はまずその会に同席した者から「不貞の相手」を探し始めるのだ。

 ばかげているのだが、読み手としてはこの設定に付き合いたいところ。さりげない一文を伏線じゃないかとにらみ、それが結びついたらやはり楽しい。西澤さんはそれを上回る展開を用意しているのだが。ここらへんに乗っていけるかどうかがポイントだ。

 早稲本が娘の父親を疑う「あるいは妻の不貞を疑いたい夫の謎」から、「もしくは尾行してきた転落者の謎」「それでもワインを飲ませた母親の謎」「はたまた魚籠(びく)から尻尾が覗く鯛の謎」と、赤玉ポートワインやエビスビールを絡めながら、話は進んでいく。

 郡山から新白河新白河から黒磯、黒磯から宇都宮、宇都宮から横浜と乗り継いで家に戻った。最近は、長距離の普通電車が少なくなってきているのが寂しいところ。郡山から宇都宮はそれぞれの終点が近くて、意外と慌ただしかった。でも郡山ー横浜間がさほど遠く感じなかったのは、この本のおかげだったのかもしれない。