晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「カナリア王子」

 イタリアの民話集を読んだ。作家イタロ・カルヴィーノが蒐集した民話で岩波文庫の上下巻で「イタリア民話集」が出ているが、子ども向けに編纂されて7話が収録された「カナリア王子」を先に読んだ(「民話集」にこの7話がすべて含まれているかどうかはわからない)。積読している「民話集」は河島英昭さんの訳で、こちらは安藤美紀夫さんの訳。福音館文庫の後者は安野光雅さんの挿画が入っている。これはかなりポイントが高い。ダブりもあると思ったが、あえて購入したのは安野さんが理由だった。

 日本もそうだと思うが、イタリアのように長細いつくりの国というのは、その分だけ国内でも文化や習慣の違いが大きいかと想像する。カルヴィーノは作家活動をなげうって、膨大な資料とあさって民話を200ほど蒐集したとのことだ。そのうち75篇が岩波文庫の2巻に収録されている。同じ話でも地方によって微妙に違ったり、アレンジが施されたりとまとめるのに大変な作業だったと思う。「グリム童話集」に匹敵する民話集を、とのことだったらしい。

 こちらには「カナリア王子」「とりごやの中の王子さま」「太陽のむすめ」「金のたまごをうむカニ」「ナシといっしょに売られた子」「サルの宮殿」「リオンブルーノ」が収録。福音館文庫は子ども向けなので漢字が少ない。

 「カナリア王子」は、継母に追い出されて塔に幽閉された王の娘が、魔法使いから魔法の本をもらう。その本は前からめくると、人が鳥になり、後からめくると、鳥が人になってしまうという本なのだ。まあ、最後には王子とめでたし、めでたしというのは変わらない。全般的に、それがイタリアらしいかどうかは判断しようがないのだけれど、人間味というかエゴみたいなものがストレートに出ているというか、人間くさいような気がしている。イタリアの方が、人間の素の部分を書き込んでいるような、そんな気もしている。

 「太陽のむすめ」は、星占いで、太陽に見初められて20歳までに太陽の娘を産むことになるだろう占われた王の娘。20歳になった時に、太陽がひときわ強い光を放つとその光を浴びた王の娘が娘を産んでしまう。占いに警戒していた王の怒りを買うと思った乳母が娘を黙って捨ててしまうというところから話が動き出す。

 「ナシといっしょに売られた子」は、ビーエル出版(Best Libraryの意らしい)から「梨の子ペリーナ」なんて絵本の形で刊行されている。絵は酒井駒子さんが描いている。福音館の方はペリーナという名前ではなく「なしっ子」となっているが、イタリア語で「pera」のようなので女性っぽくすると「ペリーナ」になるのかな。こちらも読んでみたいなあ。

 そういえば、カルヴィーノの「まっぷたつの子爵」では、子爵がまっぷたつにされて、善悪に人格に分かれた二人の「半身人間」が出てくるのだけれど、悪の方はともかく、善側の半身人間も融通がきかない人間で周りに嫌われるという場面があったと記憶している。これなんかも民話をヒントにしているのではないだろうか。

 カルヴィーノもずいぶんと積読している。落ち着いたら読もうなんて思っていたら、高齢者になっても(近づいても)まったく余裕がない。遅まきながら手を付けていかないと。マルケスの「百年の孤独」が文庫で出て、これまた煽られたような気分だが、こちらも読んでいかないと。