晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「明日 一九四五年八月八日・長崎」

 「あした」と読む。普段はタイトルに副題は入れないのだが、むしろ副題に意味があるで省くわけにはいかない。先日、娘さんの井上荒野さんの小説を読んだので、有形無形の影響を与えたであろう父親の井上光晴さんの小説を読もうと探ってみた。積読中の「他国の死」は時間がかかりそうなのであきらめて、アマゾンで調べてみると、この本があった。その場でポチっとはせずに、伊勢佐木町有隣堂で購入。 

明日 一九四五年八月八日・長崎 (集英社文庫)

明日 一九四五年八月八日・長崎 (集英社文庫)

  • 作者:井上 光晴
  • 発売日: 1986/07/18
  • メディア: 文庫
 

  読んだこともないくせに決めつけるのも何だが、井上光晴作品の中で一番手に入りやすく、一番とっつきやすい小説ではないだろうか。タイトルから想像ができるかもしれないが、長崎への原爆投下前日の長崎の市井の人々を描いた作品である。その日には、結婚式があり、難産に苦しむ妊婦がいて、収監された夫に接見する妻がいて、出張に出た夫を待つ妻がいた。広島で落とされた原爆の話は伝わっていて、当時としては想像もつかない威力であったであろう爆弾についてのうわさをしている。

 タイトルから読み手は、次の日にとてつもない悲劇が起こることを知っている。描かれているのは戦時中とはいえ、それなりに人生のイベントをこなしている。こちらは9日に起こる原爆投下を考えると、勝手に過剰な思い入れがこみあげてくる。ある意味、ずるい作品だな、これは。

 著者は、あの8月8日をできるだけ忠実に再現しようと心がけたという。登場人物はそのままでないものの、長崎への原爆投下当日に地方裁判所では実際に公判も予定されていたという。しかし弁護士の予定で公判は延期となった。もし爆心地から遠い地裁で予定通り行われていれば、少なくとも収監者や弁護士などは助かっていたのであろう。

 この小説、「TOMORROW 明日」として映画化されているようである。娘さんが「自分を小説化している」というほど、経歴などに虚構が入り混じる作家だが、小説としては「本物」と感じた。