オーケストラの指揮者の仕事って、わかるようでわからない。とはいえ、なんとなくはわかるような気もする。これまでも指揮者関係の本をいくつか読んできたが、岩城宏之さんは初めてなので手に取った。表紙も可愛らしい。
すでに故人だが、そもそもは「週刊金曜日」に連載されていたらしい。岩城さんが執筆した経緯は分からないが、この雑誌ってこんな柔らかい話を載せるスペースがあったのか(単に柔らかいだけじゃないが)。
そもそも何のために指揮者はいるのか。休暇の取り方。服装。大物指揮者に見せるには(名指揮者とは別とのことだ)など、指揮者がらみの様々なトピックについて、軽いノリで書いてくれる。文章はなかなか洒脱で読みやすい。頭のいい人だったと想像する。
指揮ほど、世の中に過大評価されている仕事はない。そして、指揮ほど、過小評価されている仕事もない。(中略)指揮者についてのオチョクリ四分の三と、ぼくの真面目な専門的指揮論をミックスした連載を、始めたのである。(「あとがき」より)
指揮者はメンデルスゾーンの頃まではいなかったそうだ。つまり19世紀の前半にできた「職業」と言える。それまではヴァイオリンのトップ奏者が頭を振ったり、弓を使ったりして指揮していたそうだ。だから、コンサートマスターと呼ばれるとのことだ。
暗譜の話も刺さる部分だった。頭に入っていればそれに越したことはないのだろうけど、すべての曲を覚えるのは至難の業だろう。なんせクラシックは曲も長い。ストラヴィンスキー「春の祭典」をずっと暗譜でやってきたが、夢中になりすぎたのか間違ったときがあったという。当然、奏者たちは混乱して、曲はめちゃくちゃ。演奏を途中で止め、客に自分がミスをしたと謝り、また途中から始めたという。指揮者としてこれ以上のミスはないと書いている。こういうことをしっかり書いて残せるのはえらいなあと思ってしまった。思い出したくもないだろうに。
一、指揮を習うことはできない。
二、指揮を教えることはできない。
三、指揮者には、なるヤツだけがなれる。
四、指揮者になれないヤツは、なれない
当たり前のようだが、これが岩城さんの「指揮についての真意」だそうである。あたりまえじゃんと思いつつ、なんかわかるような気がするから不思議だ。