晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

対談「私が読者になる時〈とき〉」西加奈子×村田沙耶香

 生の小説家を見るのは久しぶり。有隣堂でチラシを見て無料イベントに応募したら、まだ先着250名の枠内だった。新宿の紀伊国屋ホールも想像したほど、大きなハコではなかった。落語会にはちょうどいいかも。紀伊国屋書店有隣堂などの書店でつくる悠々会が主催したイベントで、「BOOK MEETS NEXT」という読書推進キャンペーンの一環らしい。後援は、手帳のNOLTY。本屋大賞でも協賛している。

イベント中は写真不可なので、対談が始まる前の舞台

 題して「私が読者になる時〈とき〉」。登壇する作家・西加奈子さんと村田沙耶香さんに読み手の立場からお話をしてもらうというもの。聞き手は、河出書房新社「文藝」の編集長。キャラ的には、チャキチャキしている西さんが「ツッコミ」で、どこか浮世離れしている感のある村田さんが「ボケ」という構図で、あっという間の1時間であった。西さんがどんどん話を回すので、聞き手はあまり仕事がなかったと言える。一方で、村田さんが作り出す「間」というのが、明らかに常人とは違うもので、文芸的な「大竹しのぶ」か「斉藤由貴」という感じ。途中から何を口にするのかが楽しみになっていた。

 録音が出来ないので(する気もなかったが)記憶で話す。軽くメモはとったが、話があまりに面白いので途中でやめた。西さんが待ち合わせでよく使っていた大阪の書店で、トニ・モリスン「青い眼がほしい」を読んで「自分の話だ」と思ったという話で口火を切る。10代だったとのことだ。「10代でトニ・モリスンって、すごくない?」って感じだが、嫌みはない。居酒屋トークのように見えて、きちんとテーマに沿うように進めようという気遣いも感じた。

 村田さんは小さいときから物語を書いていたらしく、ワープロに入力した物語を神様が判断して本にしてくれるものだと思っていたという。本でも彼女の発想に驚かされるが、そもそも見えているもの、感受性が違うと思った。この人は小説家にしかなれない人だ。確信してしまった。

 どんな経緯か知らないが、西さんはテヘラン生まれでカイロにもいたらしい。日本のベースは大阪らしいが、翻訳物もよく読むらしい。チママンダ・ンゴズイ・アディーチェやダンティール・W・モニーズの名前を出していたと記憶する(違っていたら申し訳ない)。英語でも読むとは言っていたが、どのくらい理解できているかがわからないので、改めて翻訳を読むこともあると言っていた。村田さんは、近年読んだ翻訳物として、韓国のカン・ファギル「大丈夫な人」を挙げていた。

 村田さんはどうやら厳しい家庭で育ったらしく、絶望していることを表に出せなかったらしい。いささか妙な感じがするが、自分が出せない絶望感を絶望をえがいた本によって昇華させていたようなことを話していた。新井素子さんや星新一さんの文体をまねしていたらしい。どういう子どもなのか。

 この対談は「文藝」あたりで活字化されるのではないか。これ以上は書かないが、この手のイベントは刺激になる。実は、西加奈子さんの小説は「窓の魚」を読んだっきり。自分とは合わないなあと判断したためだが、何かもう一つ代表作を読んでみようという気になった。村田沙耶香さんは生で見て、より遠い人に思えてしまった。