晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心にお出かけもあり。銭湯通いにはまっています

「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」

 今年はミュージシャンの訃報が相次いだ。自分も歳を取ってきているので、若い時に親しんだ音楽家たちが、それ相応の年齢になってきているのはわかるが、「早い」「早すぎる」と感じさせる人が多かった。若いときに無茶していたのだろうか。

 個人的には、坂本龍一さんである。イエロー・マジック・オーケストラに参加したのが、自分が中学生の頃。以降、今風に言えばインフルエンサーとして、有形無形の影響を受けてきた、ファッションはそうでもないが(そもそも無頓着なので)、読書や音楽、映画あたりの趣味にも、「教授が読んでいる(聞いている、評価している)から良いに決まっている」として、自分の趣味に重ねたりしてきた。たくさん「背伸び」させてもらった存在である。ファンと自覚したことはないのだが、その動向は追っていた。村上春樹さんに近いかもしれないが、村上作品を読むより、坂本作品を聴くことの方が多かったし、これからもそうだろう。

 坂本龍一さんの自伝めいた本は多いが、この本は余命宣告をされたところから始まり、東日本大震災前後までを振り返りながら、亡くなる直前までの活動を追っている。巻末の年譜は2009年から始まっている。順番でいうと「音楽は自由にする」から読むべきだったかもしれないが、亡くなった衝撃を考えるとこちらからになった。

 この本の期間に作成されたアルバムは「Out of Noise」「async」「12」あたり。ライナーノーツのように聴きながら読み進めた。無理がきかない中での創作活動。病状を公にしていない間は、きついスケジュールも断れない。依頼側の要求とかみ合わなければボツになることもある。どこか前向きな部分があるのが救いとも言える。創作活動をしながら死に向かうシチュエーションは考えづらいが、姿勢は見習っておきたいと思った。最後は気丈なパートナー(名前はわからない)に看取られたのだなと思った。

 世界的な文化人との交流はほぼ日常。反原発の活動などの他に、読書や交流で得た情報も加わっている。坂本さんはハワイアンが嫌いで(わかるような気がする)、あの音楽は原住民が米大陸のカントリーミュージックを取り入れて支配者向けに作ったものと書いていた。罪のない音楽だと思っていたが、そのような背景があるのか。吉永小百合さん、鈴木邦男さん、ビョークさん、ベルトルッチさんとのエピソードも興味深い。

 巻末には「フューネラル・プレイリスト」と葬儀で流された音楽のリストが載っている。やはりドビュッシーラヴェル、バッハ、サティなどが多い。自分の時はどうしようかと考えたりしてみた。坂本さんは幸い著作や音楽作品も多い。また、立ち止まって考える時間をくれるだろう。