晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「名前で呼ばれたこともなかったから」

 先日読んだ「空が青いから白をえらんだのです」の続編。奈良少年刑務所の受刑者が所内の教育プログラムで紡いだ詩を紹介している。収容者は16歳以上26歳未満の者で、少年院に比べるとずっと重い罪で服役している。殺人、強盗、レイプ、薬物、放火といったものだ。「空が青いから」は、プログラムの1期から5期までの作品を収録していて、続編はその後から18期までの作品。前回と大きく違うと感じるのは、私見だが、「空が青いから」は出来の良い作品を主に選んでいたように思える。今回のは出来よりは、教育の一環として過程に重点を置いて、「らしさ」が出ている詩を選んでいるような気がしている。

 少年刑務所には自由がないと訴える内容や、書けずに困って絞り出した独り言のような詩もある。中には、いわゆる「パクリ」の詩もあった。単行本になって読者から指摘があったらしい。たぶん文庫版で付け足したのだろうが、作者は元になった詩を気に入ったのだろうと、選者の寮美千子さんは評している。自分の言葉で書けなかったけど、好きな言葉はある、という形に持って行けなかったとも。

 そういった意味で、この続編の方がずっと彼ららしいのかもしれない。こんな詩があった。

思いつかない

空を見ても

思い返しても

なにも浮かばない

ただ 考えている時間だけが

意味もなく過ぎていく

あー めんどくさい

もう これでいいや (「詩が思いつかない」)

 このような詩でも、周囲の者が「書きやすくなった」と評価してくれたのだという。確かに、このプログラムは出来の良い詩を送り出すのが目的ではなく、詩作を通じて心を開くきっかけを作るのが目的なのだ。受刑者の中には発達障害を持つ者や恵まれない家庭環境で育った者もいる。いわゆる非行に走る若者たちは、自己肯定感が薄かったり、もしくは逆に過剰に強かったりする。そのような者たちの「心にまとった鎧をはず」させるのが目的だ(帯の文章から)。自己表現をすることで他者と接しやすくする。それが再犯防止につながる。

 前編ではやたらと詩の出来に感動していた自分だが、続編では彼らの「本音」に接し、少し輪に入れた気持ちになったから不思議なものだ。