晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「スーザン・ソンタグ」

 随分前に読んでいたのだが、まとまらないので書くのは止めていたが、別に論じるわけでもないし、きちんと理解できていないのを認めた上でそれなりに整理しようと思い、また手にとってチャレンジすることにした。著者の波戸岡景太さん(明治大教授)は「こいつ、読めていないな」と思うだろうが、それはしょうがない。

 スーザン・ソンタグ(1933-2004)に出会ったのは(もちろん著書に)、たぶん1980年代後半か90年代前半。自分の給料で本を買えるようなった頃。「隠喩としての病い」が最初だった(原書は1979年刊)。ソンタグ氏はすでに知識人として名は成していて、こちらからすれば「背伸び」の対象。当時は、みすず書房晶文社から本が出ていた。小説は読んだことがない。

 世間を挑発するような姿勢で知られていた(本人にそのつもりはないのかも)。本書でも紹介されているが、顕著なのはいわゆる2001年の9・11の時。「仮に「臆病な」という言葉を使うのであれば、他人を殺すためにみずからの死を厭わない人間に対してではなく、報復の及ばぬ高みから殺害を行う人々に対しての方がふさわしいと言えるのでは」と週刊誌に発表し、いまでいう「炎上」にさらされる。飛行機を乗っ取ってビルに突入したテロリスト側を称賛しているように思われたのだ。

 本書を読んで知ったのだが、ソンタグが当時の若者の気持ちを捉えたのは、「《キャンプ》のついてのノート」という論考らしい。1964年のこと。ここでの「キャンプ」は、「野営地」ではなく「同性愛の、なよなよした、こっけいな、洗練されていない、わざと大げさにした」などの意で、この悪趣味な感じが逆に「かっこいい」と主張したらしい。日本語の「オツ(乙)」に近いだろうか。「オツだね」というのは、趣があったり、ちょっと変わってたりするときに使う。子どもの頃は、真っ当な褒め言葉だと思っていた。恥ずかしながら。甲があって乙があると知らなくて。

 さて、やはり書いていてまとまらない。この本の帯に彼女の言葉集がまとめてあるのは、彼女の考え方を抜き出して示すのが難しいからなのかもしれない。というか、抜き出すとそれだけが一人歩きして、評価が固定されてしまう恐れがある気がしている。なんか難しい。

最後に、彼女の言葉(本の帯)をいくつか羅列して締めたいと思う。彼女についても学習しないと。

○物書きたるもの、意見製造機になってはならない

○解釈は、世界を貧しくし、消耗させる

○写真家の意図は、写真の意味を決定しない

○カメラは銃を理想化したものであるから、誰かを撮影することは理想化された殺人(後略)

○悪趣味の趣味の良さ、なるものも存在する