「エンド・オブ・ライフ」から少し間を空けて、佐々涼子さんの「夜明けを待つ」を読んだ。読書ブログなどで、佐々さんが悪性の脳腫瘍(グリオーマ)で闘病中であるのは知っていたし、この本が出ているのも承知していた。どうも、手に取る気持ちになれなかったのだ。これを読み終えてしまうとつながりがなくなってしまう気がしてしまって(縁起でもないと叱られそうだが)。もちろん面識はない。
正確にはわからないが、佐々涼子さんは単著で7、8冊ほど本を出している。たぶんアンソロジーのような形をとっているのはこの1冊だけだ。デビュー作は「ミケと寝損とスパゲティ童貞」と日本語教師だった時代のことを書いたものと思われるが、これは未読でたぶん入手困難であろう。主な本は読んでいるか手元にある。
まず「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」「駆け込み寺の男 玄秀盛」を読んだ。佐々涼子という存在を意識したわけではなく、面白そうだと思って本を読んだら、書き手が佐々さんだったのだ。「駆け込み寺」を後に読んで「紙つなげ!」を書いた人だと知った。佐々さんを意識して読んだのが「エンド・オブ・ライフ」と、この「夜明けを待つ」となる。
「闘病中」と書いてしまったが、佐々さんは「病と併走中」という感じかもしれない。「エンド・オブ・ライフ」を読んでいると、そこまで生に固執していない気がするのだ。現状を受け止めながら、あるがままに人生を楽しむ姿勢ではないか。病自体は苦しいはずだが。
本人も書いているが、佐々さんは器用な人ではない。しかし、上手に物事を運ばせようとするあざとさがない分、真摯な態度で取材をしてきたのではないか。数作読んだことになるが、作品の対象となる出来事が佐々さんを待っていたような展開になるのが不思議なのである。筆力を超えている気がする。
「夜明けを待つ」。前半は、日本経済新聞や雑誌「潮」などに書いたエッセイだ。ここらへんはすでに書き手として名を成した存在になって依頼されたものであろう。後半は、ノンフィクション・ルポの類いで、多くは前半以前に書かれている。佐々さんは、日本語学校の教師を経て、40歳前後でノンフィクションライターの道に進むのだが、日本語学校の教師時代に直面した外国人技能実習生が抱える問題を文章にしている。「ダブルリミテッド」として4篇収録。家庭環境が安定していない技能実習生の子どもたちがどちらの言語も年齢相応に習得できていないことを「ダブルリミテッド」というらしい。それこそ「バイリンガル」になりうるチャンスもあるのに、教育や環境が行き届かなくて中途半端になってしまう状態のことだ。「セミリンガル」という言葉もあるが否定的なニュアンスがあり、ダブルリミテッドという言葉を使うとのことだ。ここらへんは後にだした「ボーダー 移民と難民」に詳しいと思われる。これも読んでみないと。
ほかには、「死」を扱うことが多かった佐々さんが宗教に道を求めた話なども載っている。あとがきの「ありがとうございました」という一言が妙に寂しい。