晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「読むクラシック」

 佐伯一麦さんの小説だけじゃなくて、エッセーでも読んでみようかとブックオフで取り寄せた。2001年刊行なので書店購入は難しく、アマゾンの中古だと1円だが、送料が350円。税抜き100円ながら店頭で引き取れば送料はないので、ブックオフで購入することにした(他の入手困難本と一緒に)。副題に「音楽と私の風景」とある。これまで読んだ作品にも佐伯さんのクラシック好きを思わせる場面があった作曲家グレツキポーランド出身だからと同国の演奏家によるCDを取り寄せたり、部屋でクラシックを流したのを(離婚した)妻になじられたりした場面があった。後者については、生活が大変なのに、どこか現実から逃避しているように受け止められたのかもしれない。クラシックにはそんな非日常なイメージが伴っていると思う。

佐伯一麦著「読むクラシック」。ややくたびれていたが、十分読める

 章立てを、1曲目、2曲目として曲名をあげて、曲への思い出や曲を伴った日常が書かれている。日本篇、北欧篇と別れていて、これは作曲家で分けている訳ではなく、佐伯さんが書いている拠点で区別しているらしい。「ノルゲ」という題の小説もある通り、オスロに1年ほど滞在した経験もある。読んでいて分かるのは、かなり若い頃からクラシックに親しんでいたこと。自分は20代くらいまではロック一辺倒、ジャズは気持ち程度という感じで、クラシックを意識的に聴いたことはなかった。

 仙台に「無伴奏」というクラシック(主にバロック)を聴かせる店があったとはしらなかった。自分が住んでいたのは80年代初期の4年ほどだが、「無伴奏」は電力ホールの裏側にあったそうだ。この「無伴奏」は小池真理子さんの小説の舞台になり、同名の小説は映画化された。小池さんの小説は自分の守備範囲から外れているにしても、そんな小説や映画があったことくらい知っておいても良かった(小説は読みます)。こういうのって、後から知ると妙にくやしい。

 このエッセーも佐伯自身の人生が重なってくる。いわば演出がないので、小説以上にストレートだ。進学校にいながら大学進学をしなかったのは、早期から小説家として生きていこうと決めていたからだ。ワーグナーニュルンベルグマイスタージンガー」の項では、「マーク・トウェイン短編集」により、外国文学へ興味が向き、ヘッセ、マン、モラヴィアヘミングウェイなどの読書遍歴が示される。これらの作家は、いずれも正規の大学教育を受けていないという共通点があり、本人の進路決定に影響した可能性がある。

 別項の話だが、高校時代の先生の中には、作家になるのなら大学に行く必要はないが語学にコンプレックスを持つ心配があるのでドイツ語を習いに来いと声を掛けてくれた人もいた。ニーチェの原文でドイツ語を習ったそうだ。なんかいい話だな。

 文学作品と結びつく話も多く、読後感としては思っていたほどクラシック色は濃くはない。でも、聴きたくなった曲もある。グールドによるブラームス「間奏曲集」は家のどこかにあったはず。家人が留守にしている時に音量大きめ(集合住宅なので限界はあるが)で聴いてみたいとちょっとそわそわしてきた。