神奈川近代文学館が開館40周年を迎え、作家の荻野アンナさんが館長になった。地元在住で見かけることがあるせいか、どこか身近な存在で、気さくな人とのイメージを持っている。ダジャレはオヤジ顔負けなくらいに連発するが、そのようなキャラとして受け入れているので問題はない。
ここのところ「かなぶん寄席」といえば、春先に開催される年一度の講談が定番だったが、荻野アンナさんが金原亭馬生師匠に弟子入りしている関係で(金原亭駒ん奈)、40周年記念として落語会を開いた。高座に上がったのは馬生師匠、古今亭菊春師匠、金原亭馬治師匠。いずれも(超)ベテラン。考えてみれば、近年の落語ブームで若手にばかり目がいっていたが、この層の噺をきくのは久しぶりだ。
だからというわけではないが、それぞれの噺が心に染みた。年を取って涙腺がゆるくなって、同様に笑いのハードルも低くなっているのかもしれない。若手の勢いも悪くはない。馬治師匠は体も大きく、オーソドックスな感じ。どこか古今亭志ん朝さんを思い起こさせる。そういえば、先代の馬生は志ん朝さんのお兄さんだった。芸風でつながるところがあるのだろうか。演じたのは「片棒」。ケチなオヤジが跡取りを決めるために息子3人に自分の弔い方を尋ねるという噺。トリを務めた11代目馬生師匠もかつては馬治を名乗っていた。いずれ馬生を継ぐのかも。
次は菊春師匠。にぎやかな芸風。今回はトリの前の色物役を務めたように感じた。演目は「転宅」で、妾宅に盗みに入った泥棒が、逆に色仕掛けでお金を巻き上げられるという噺。
トリは、馬生師匠の「芝浜」。内容をしっかり知っているだけに「芝浜」と分かった時にはやや残念な気がしたのだが、ききいってみると馬生版「芝浜」はしっとりして良かった。酒で身を持ち崩した魚屋が、妻から働いておくれと朝早く家を出たら、大金が入った財布を拾って戻ってきた。当分は働く気はなく、日頃世話になっているからと長屋の連中を呼んで酒盛りをする。二日酔いになって翌朝起きると、そんな財布はなかった、夢だったんじゃないと妻に言われる。残ったのは借金ばかり――。有名な噺なので、詳しくは書かない。
しかし、馬生師匠の「芝浜」は伏線がしっかりしているというか、妻の目線がしっかり描かれているように思えた。口うるさくはないが、芯がしっかりした人として描かれていて、魚屋の熊さんの威勢の良さばかりが目につく「芝浜」と違って、説得力を感じた。
落語の前は、馬生師匠と荻野アンナ館長との対談。中興の祖とする三遊亭円朝はモーパッサンからもヒントを得た噺を演じたという。あの当時にもモーパッサンの小説をいち早く翻訳して円朝に伝えた人がいたのだろう。この落語会は好評なら継続するとのこと。木戸銭が1500円でこれだけの噺が聞けたら文句はないだろう。キャパが小さいので今後の値上げが気になるところだが、見たところは満員。どのくらいのギャラを払ったのかは知らないが、まずは成功だったのでは。